院長コラム



第15回 新型コロナウイルス対応に見る日本 (2020/04/20)


 2020年4月新年度を迎え桜は満開となり、通常であれば卒業、新学期、あるいは会社などでは歓送迎会などで活気あふれる季節であるはずだった。今回の新型コロナウイルスの猛威は、国内だけでなく世界中を短期間で大混乱に陥れた。東京2020オリンピックも延期となり、景気もリーマンショック以来の低迷状態である。

 最初に中国武漢市で原因不明の肺炎患者が報告されたのが2019年12月8日、中国がWHOに原因不明の肺炎が発生していると報告したのが同月31日、原因として新型コロナウイルス感染が疑われ拡大防止措置として、武漢の都市封鎖(ロックダウン)が施行されたのは2020年1月23日午前10時だった。そのニュースは世界中に広まり2002年の重症急性呼吸器症候群(SARS)を連想させた。折しも中国は春節(2020/1/25)を迎えており、この時期、中国では毎年人民の大移動が起こる。日本への観光客も多い。当然、中国からの入国規制を行うだろうと思っていたが、日本政府は何の対策も講じなかった。

 そして、クルーズ船(ダイヤモンドプリンセス号)が横浜港に入港、船内での集団感染が発表されたのが2020年2月5日だった。そして、わずか2ヶ月あまりで日本は感染列島となった。政府は、何を思ったか、具体的な防止対策や治療薬もない状況において2020年1月28日に本感染症を「指定感染症」に指定してしまった。その結果、PCR陽性患者は無症状でも入院隔離されなければならなくなり、いきなり病床数不足の危機に陥った。さらに、今後、医療機関での院内感染の拡大にも拍車がかかるだろう。

 当初、国(地方自治体も)はPCR検査の実施を海外からの帰国者および濃厚接触者に限定してきたが、その後、感染経路不明者が急増した。4月7日には、ついに東京を含む7都市圏で非常事態宣言が発令され、同月16日夜には日本全土に対して非常事態宣言を出すことが閣議決定された。政府の方針は、ただマスク着用、手洗い、不要不急の外出自粛、加えて可能な限りでのテレワークの要請に終始している。効果不明のソーシャルディスタンスなるルールが生まれ、外出自粛要請を厳しくしたら、家庭内感染者が急増したという。今更、政府の初動、その後の場当たり的対応を批判しても仕方がない。

 現時点で感染拡大、重症化をどのように防ぐかが最重要課題である。日本には多くの感染症専門家がいながら、どうしてこんなことになったのか。医療最前線では仲間を人質にしたゾンビやゲリラを相手に戦っているようなものである。敵(コロナウイルス)がどこから現れるかわからない。見た目にもわからない。敵を見誤れば自分も仲間の命すら危ない。敵を倒す武器(ワクチンなど治療薬)もない。現時点では我らに敵をサーチする手段(PCR検査)も十分には与えられていない。自前で武装(PCR検査の整備)するしかないのか。治療としての有効手段もワクチン開発に期待するほかないが、それまでに効果が不明あるいは不十分な既存の薬を多用することでウイルスの変異を助長しないのか不安が残る。

 人類の歴史は細菌との戦いであった(銃・病原菌・鉄:ジャレド・ダイアモンド著書)。対ウイルス戦は細菌の比ではないだろう。敵(RNAウイルス)は変幻自在の変異の達人であり、1日で100万個以上とものすごい増殖スピードを持つ。歴史を遡れば、今回も集団免疫を獲得するまで、いかに犠牲者を最小限に抑えきるかが試されているのかもしれない。このやっかいな新型ウイルスと対峙していくためには、市町村ごとの迅速なPCR検査の実施体制(掃討作戦)が必要と思うが、皆さんはどのようにお考えであろうか。







第14回 これからの医療提供のあり方(2019/12/05)


 我が国では、医療の提供体制や社会保障政策においてパラダイムシフト(考え方や価値観が180度変わること)がおきようとしている。キーワードとしては、人口減少を伴う少子高齢化、低成長時代における税収の減少による社会保障費の抑制である。

 2018年4月から2025年に向けて、社会保障に関する事業責任を国から地方へ移管し、地方自治体の責任において、地域ごとの医療再編を加速させる。一方で地域包括ケアシステムの構築により、入院を中心とした医療から在宅医療への流れを進め、それぞれの生活圏域での自助・互助の環境整備を行うことで社会保障費の抑制を目指すということになる。

 しかし、急速な少子高齢化を伴う人口減少のなかで、その基盤となるコミュニティーを維持できる地域がどれだけあるのだろうか。政府が描くポンチ絵のようにスムーズにことが運ぶとは考えにくい。一方で、もう一つのパラダイムシフトがおきている。それは、第4次(第3次の延長線上という学者もある)産業革命というものであり、インターネットの遍在、IoT対応領域の拡大と低価格化、AIによる機械学習などの急速な進歩を指す。医療や福祉の現場にも大きな影響を与えるだろう。情報イノベーションは、患者情報の取り扱い方を一変させる。

 第1次産業革命期の紡績機がヨーロッパ以外の国々に普及するのに120年ほどかかったそうだが、インターネットが世界に浸透するのには10年もかかっていないし今でも拡大し続けている。2020年を目指して次世代の通信規格である5Gの研究が急速に進んでいる。5Gの通信機能は4Gのおよそ100倍速くなるといわれている。AIやIoTのさらなる進化と低価格化により医療機器はさらに精密かつ自動化されていくだろう。さらに、ビッグデータの利用により、診断だけでなく治療方針の決定、疾病予防ほか、現代の医師が持つ知識や技術の多くが、近い将来、AIに置き換えられる時代がくる。

 診療マニュアルやガイドラインを前提とした診断や治療選択などは言うに及ばず、遺伝子組み換え、新薬の開発などもAIが最も得意とするところであろう。昨今では、「線虫によるがん診断率85%」「血液1滴で13種類のがんを発見できる技術が開発」などの報道があった。技術が急速に進歩し、また、あらゆる情報がAIにより管理統合されようとしている時代においては、人としての尊厳にもっと注意を払い、個々の多様性がより重視されるよう努めなければならない。

 第4次産業革命以降においては、医師たちは、ディープラーニングによりAIが提示したEvidence-based-Medicine(科学的根拠に基づく医療)をもとに、患者個々の特性に見合ったNarrative-based-Medicine(*物語に基づく医療)を提供する力量が求められる。(パレット:2019/04/15一部改変)

*物語に基づく医療とは、患者の抱える問題を全人的(身体的、精神、心理的、社会的)にアプローチしていこうとする考え方。






第13回 「この道しかない」「切れ目のない・・」という制度の行く先は?(2017/10/20)


 平成30年4月から地域包括ケアシステムの構築が本格化する。国は“切れ目のない社会保障政策”を達成するためとして2025年に向けて詳細なガイドラインを提示している。
 久留米市の資料によれば、大項目8、中項目27、小項目92からなり、その92項目ごとに市の担当課が定められ遂行義務が科せられている。しかし、その内容は複雑であり、目標達成できる自治体がどれだけあるか疑問である。
 国が示したものはあくまでガイドライン(指針)であり、地方に見合ったように変更も可能と思うが、地方自治体職員にとっては92項目からなるマニュアル本としか映らない。その結果、ガイドライン(=マニュアル本)から逸脱した市民には何の支援も準備されていないため、“我が事、丸ごと”自助・互助ということになる。

 内田樹氏は“街場の共同体論”の中で、「マニュアル信奉者たちは、マニュアルは精緻化するほど浩瀚(こうかん)な書物となり、あるレベルを超えるともはや“取り扱い説明書”の用を足さなくなるという当たり前のことに気づいていない。もっと重大なのは、マニュアルを精緻化することで、我々の社会は、どうしてよいかわからないときに、適切に振る舞うという、人間が生き延びるための最も必要な力を傷つけ続けている。」と指摘している。
 さらに「ロックやホッブス、ルソーという3人の思想家が、近代市民社会を基礎づけるために語ったことを300年後にまた繰り返さなければならない。・・・市場原理で壊された共同体を再建しなければならない。・・・この市場主義社会の中に非市場主義的な場としての総合扶助、総合支援的な共同体を局所的であれ再建していかなければならない。」と案じている。

 国の施策にも自助・互助の共同体づくりはあるが、あくまでも、行政による行政のためのものであり、個人的にはイギリスの哲学者ベンサムが考案したパノプティコン(一望監視施設)とさほど変わらない。
 また、哲学者フーコーは、この原理が時の権力者により近代社会の全域に応用されているという。最近、世の中がなにやら息苦しく感じるのはそのせいだろうか。国民もマスコミも何かにつけて不寛容になってきている。
 一方、社会学者ルーマンは“社会システム理論”の中で、「社会の<設計>は決して成功しない。・・・・社会は<設計>されるものではなく<進化>するものであり、特権的視座から特定の意図に従って社会をコントロールすることはできない。歴史的にみても独裁政権においては一時的には可能であっても、長続きはしていない。」と明言している。

 安倍政権は、「この道しかない」という。厚労省は「社会保障に関する切れ目のない制度の整備」、防衛省は「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法政の整備」というが、1本道ほど危険なことはない。
 切れ目はなくとも端からこぼれ落ちれば、ほかの道はない。遠回りでも良い。立ち止まっても良い。道草をくうも良い。 もう少し余裕を持って歩きたいものである。我々の未来にはどんな景色が待っているのだろうか。






第12回 日本の社会保障政策のゆくえ(2017/09/16)


ふっと思うこと

 大学卒業当初は心臓循環器の専門医師を目指し救急医療や初期のインターベンション技術の習得に邁進した。自分としては当時の先進医療の牽引者の一人として自負もあった。循環器以外の知識や技術はほとんどなかったが、患者にとっては良医であると信じていた。
 卒後10年を経過した頃、縁あってリハビリテーション医療、障害者医療に取り組むようになり、リハビリテーション専門医を目指して「二足の草鞋」の人生を選択した。
 卒後15年が経過した頃、当時の仲間から、「あいつ医者をやめてリハビリするらしいぞ」と噂が流れた。その頃の循環器専門医にとってはリハビリテーションとは心臓リハビリテーション以外は医師の仕事ではないと思っていたようであり苦笑した記憶がある。

 1985(昭和60)年ごろ、当時の県保健所からの依頼で脳卒中情報システムのモデル事業を受けたことがきっかけで、県の保健師さんとの接点が増え、初期の訪問看護事業に関する検討会や久留米市役所内における地域医療福祉に関連した勉強会等を年5~6回開催するなど地域作りへ関わるようになった。
 1995(平成7)年、佐賀大学医学部教授(現名誉教授)の齋場三十四先生のご指導により、北欧諸国、イギリス等において、福祉先進国の社会保障制度、福祉政策の現場を経験した。
 さらに、日本の介護保険創設前夜の1999(平成11)年に2回目の北欧研修の機会をいただき、帰国後、私の人生が大きく変わっていくことになった。
 日本における社会保障政策の変わり目に、福祉先進国の現状をいち早く経験してきたことは代えがたい財産となった。
 2000(平成12)年に日本で介護保険法が施行された。当時交流があった久留米市保健福祉部の担当者から久留米市における介護保険事業の立ち上げを手伝ってほしいと依頼を受け、施行半年前から準備にはいった。
 その後、併行して障害者自立支援事業、2006(平成18)年から地域包括支援センターおよび福岡県介護予防支援センターの開設と運営に関与して現在に至っている。

 およそ20年あまり、社会貢献のつもりで、依頼があるまま国、県、市町村レベルの地域医療福祉行政に関与してきた。しかし、この数年、何やら気が思い。年のせいかとも思ったが、そうでもない。今の国策は、国体(State)を守るためであって国民(Nation)のためのものではないのではないか。何をするにも必要以上に国の指針、ガイドラインに縛られる。お上(State)が発行する無数の「ポンチ絵」は複雑きわまりない。

 一方、小泉政権時代には「郵政民営化反対は抵抗勢力」「財政改革に聖域なし」など、代替案を排除するようなワンフレーズが目立った。
 財務省は、高齢化に伴う社会保障費の増加を理由に民主党政権時代には「社会保障と税の一体改革」を打ち出したが、増税や負担増ばかりで国民生活が良くなる兆しはない。
 現在の安倍政権においても「アベノミクス」「この道しかない」に始まり、社会保障改革でも「医療再編と地域包括ケアシステムの構築」「我がごと、丸ごと」などワンフレーズは変わらない。
 2017年5月の新聞では、「年金未納に対する強制徴収強化」の報道があったが、未納者4割の報道はどうやら嘘らしい(本当は3~4%程度?)。
 「消えた年金」、「宙に浮いた年金」はどうなったのか。2017年9月13日の報道では、約10万人に対して598億円もの年金支給漏れが発覚した。対象者のうち約4000人はすでに死亡しているという。それでも誰も責任は取らない。日本はどうなるのだろうか。






第11回 介護予防4徳合同研修会報告 (2017/02/25)


アクロス福岡国際会議場において

 2016年度の福岡県介護予防支援センター4地区合同研修会を2017年2月25日にアクロス福岡の国際会議場で開催した。対象者は、行政、介護予防支援センター、地域包括支援センターなど地域包括ケアシステムの構築にかかわるスタッフを対象としたある意味クローズな研修会ではあったが、県下より150名前後の参加者があった。
 タイトルは「住民主体による介護予防の取り組み」と題し、目的としては、各自治体において実施すべき官民一体の地域包括ケアシステム構築に向けた方向性を示し課題を共有することにあった。

 講師は、岐阜県大垣市福祉部高齢介護課 篠田浩 課長にお願いした。篠田氏は、大垣市職員であるが、平成24年4月から2年間ほど厚生労働省老健局総務課に出向し課長補佐として政策立案等に参加したのち、平成27年4月から同市において、さらにその手腕を振るわれている。
 講演では、大垣市での現行制度における活動内容と現行制度では支援できない市民への対応策などが示された。講演中には行政職員ではあるが政策立案側の立場と地方で実施責任者としての立場での苦悩と努力が窺えた。
その後、現国立保健医療科学院研究員 大夛賀(おおたが)政昭 氏の指導により市民の生活支援に関する実践的なグループワークを行った。時間に制限があり十分な議論はできなかったが、参加者には、今後の実践においての大きなヒントが得られたのではないかと思う。

 講演会終了後、両氏とコーヒーブレイクで意見交換を行った。医療と介護に関して福岡県、あるいは久留米市がおかれた環境、実情、そして地域包括ケアシステムに関する事業の進捗状況などをお話しし、少なからずご助言をいただいた。
 福岡県の後期高齢者医療費は、この10年間連続して全国一位を続けている。そんな中で、2018年度には医療再編が本格化してくることが予想されるため、受け皿としての地域包括システムは是非とも確立しておかなければならない。また、同時に診療報酬と介護報酬の同時改定を迎えることになるため、医療機関だけでなく福祉・介護事業所にとっても大きな転換期になるであろう。
 さらに、地域包括ケアシステム構築には、各市町村における縦割り行政の改革が前提条件となる。首長の手腕および市民による革命的活動が求められる。

 我々は大きな岐路に立たされている。この期に及んで地域連携など考えている余裕はないというかもしれない。ひたすら戦略的に「自組織ファースト」として己の利益を確保する努力が必要なのかもしれない。しかし、医療、介護サービスとも市民のための制度であり、税制、保険制度が維持されていることが前提となる。今こそ、官民一体、医療と福祉・介護の連帯と連携が求められる。

 繰り返しになるが、時代が大きな転換期(パラダイムシフト)を迎えている。パラダイムシフトとは過去からの延長線上での変化を意味しない。認識や思想、価値観の革命的、劇的変化を指す。市民の価値観も変わっていくだろう。
 今後は「専門的医療から全人的医療へ」、さらに「入院医療から在宅医療へ」→「Cure(治療)からCare(ケア)へ」→「介護支援から自立支援へ」とその流れに拍車がかかることになる。
 また。高齢者医療においては、年齢と状態に応じて「高度医療から良質な医療」、「EBM(Evidence Based Medicine:根拠に基づく医療)からNM(Narrative Medicine):物語能力による治療」の提供へと価値観が変わっていく。






第10回 デンマーク福祉に学ぶ


 先日、病院倉庫の中から北欧研修時の報告書が出てきた。懐かしく読み返し、今の時代と比べてみた。少し長いが、皆さんの参考になれば幸いである。
デンマーク福祉に学ぶ(紀行文)
1995年冬

(はじめに)
 95年11月齋場先生からのお誘いで欧州への研修旅行へ行くことになった。一日24時間をどのように過ごすかで精一杯だった時期によく思い切ったものであった。これからの日本の医療事情が霞にかかった状況にあるだけに、自分の目で何かを見届けたいという気持ちがあった(それが何であるかは自分でも分からなかったが。)それでもわざわざヨーロッパまで行くのだから観光シーズンでもないけれど結婚以来十数年二人でどこにも行ったことがない罪滅ぼしのつもりで妻と二人で参加することにした。
 朝早いうちから福岡空港―羽田を経て一路ドイツへ。旅の仲間はみんな初対面であったが、齋場ファミリーといった感じの和やかな雰囲気があった。
 もともと飛行機があまり得意ではない私にとって12時間の旅は結構辛いものがあったが、何とかドイツの空港へと降り立ち『やれやれ』。ところが、突然、空港ロビーのトイレの前が騒がしい。振り返ると、我がツアーの仲間達が5~6人で身障者用トイレに向かってバシバシとシャッター・フラッシュの雨を浴びせているではないか。この光景にはドイツ人もびっくり。周囲からは不気味なジャパニーズを見る異様な視線を感じた。これが欧州研修ツアーの始まりであった。
 ドイツで時差ボケをならし、一路コペンハーゲンへ移動。デンマークといえばドイツの北あたりにちょこんと突き出た半島で、産業といえば酪農くらいしか思い浮かばなかった。
ところが実際にはデンマークは多数の島の集まりで、半島部にはあまり都市はなくコペンハーゲン、オーデンセでさえも小さな島の一都市であった。
総ての島を合わせた総面積でも九州程度、しかし丘陵地帯はあるものの山が全くなく、車で走っていると小さな島であるにもかかわらずヨーロッパ大陸を縦走している感があった。
総人口は520万人で福岡県の人口程度に過ぎない。しかし、ここには必ず何かがあるはずであった。日欧分化交流学園の千葉さんのご厚意により日本でいう養護老人ホーム、集合住宅などを見学、また、学園で勉強中の日本人学生達とも意見交換をした。
 ここでも施設の設備は言うに及ばず、駅のトイレ・路面電車・プラットホーム・公衆電話などにシャター、人を見つけては質問の嵐を浴びせまくった。
デンマークでの三日間は、午前午後とも実に有意義に時間が使われ、“アンデルセン家”を訪れる間もなく再度ドイツへと戻った。
ドイツでも各施設を訪問し、たくさんの方々にお世話になった(ドイツでは“ゲーテさん”と“人魚姫”には会うことができた)。ところが、研修が進むにつれて心が重く、頭上に暗雲が広がっていくのを感じざるを得なかった。

(デンマークというところ)
 何から書いたらいいのかしばらく手が進まない。こんな小さな国であるにもかかわらず世界3大空港の一つであるコペンハーゲン空港を要し、無数の人々そして、おびただしい貨物が行き来している。町は古い建物と新しいビルが共存し人に優しい町作りがなされている。道路は広く、路肩には自転車専用路、道はあくまで歩行者優先、歩道橋などどこにも見当たらない。路面電車・バス・地下鉄など、すべてではないが、低床型の乗り物が多数見かけられる。車椅子の仲間とバスに乗れば、頼まなくても誰とはなく手を貸してくれた。障害者用のモデル都市ではないのかと疑いたくなる程であった。
 最もショックを受けたのは障害者用住宅を訪れたときのことであった。そこには脊髄側索硬化症で自由を奪われた中年女性が、一人で住んでいるとのことで見学させてもらうことになっていた。
 しかし、バスで家について最初に迎えてくれたのは、身長185~186cm、体重100kgを超えようかというヒゲ面の大男であった。家は狭かったが木造の2LDKで格子戸の玄関から中に入ると、通路兼用の狭いながらもきれいに整理されたキッチンがあった。左側に20㎡ほどのダイニングルーム、そしてその奥にシャワールーム、ベッドルーム、ホームヘルパー専用ルームがあり、障害者の一人暮らしには十分に思えた。
みんなで女主人を囲みディスカッションが始まった。さっきのヒゲ面の大男がクッキーとコーヒーを運んでくれた。用心棒のようなこの大男はなんと彼女専用のヘルパーであった。驚きはこれで終わらなかった。彼に尋ねた。

私:あなたのここでの仕事は?
彼:彼女に必要なものすべて。食事の準備、シャワー、着替え、下の世話すべて。今日は彼女と24時間一緒に過ごす。
私:(彼と彼女に)抵抗はないのか?
女主人:彼は私の選んだ有能なヘルパーである。自分のヘルパーは自分で選ぶ権利が与えられている。嫌なら首にして新しい人が雇える。力仕事もあるし一人は男性が必要だ。また今は、彼に満足している。よくやってくれる。
彼:すべてが私に与えられた仕事だ。
(私たちから見ても彼は彼女の手足のごとく忠実に行動していた。)
私:(彼に)私の偏見であれば謝るが、外見から想像するに、あなたと今の仕事はイメージが合わない。なぜ今の仕事に就いたのか?あなたには家族はいるの?
彼:自分は以前コックで月40万円もらっていた。今の仕事は月26万円だが、週42時間(だったと思う)働けばいい。週1回24時間付き添えば後は2日程働けば休める。家族も歓迎している。

 一見、週42時間(一日24時間+8時間×3、または12時間×2でも良い。あとは休み)で26万であれば良さそうだが、彼は給料の約半分を税金として納め、消費税25%の生活を送っているのである。
 驚きはさらに続いた。彼女には一週間(まさに24×7=168時間)を健常者と同様に過ごすための保証としてホームヘルパー6名が税金で雇われていた。その費用は月180万円となる。彼女には、年金として月6~7万円が支給されていたが、手出しは2万円弱であった。彼女は生活に困っていなかったが、市議会議員をし、また自分自身もボランティアをしていた。これが日本で言われている本当の意味でのノーマライゼーションである。そこでもう一度尋ねてみた。

私:こんなに福祉にお金を使ったらデンマークは破産すると思わないか?
女主人:するかもね。でもこれは私の権利。またそれだけ税金を払ってきた。
彼:税金は高いけど、当然の義務。いずれは戻ってくる。

 さらに私は、彼女は天涯孤独だと思っていたのだが、ちゃんと両親は健在で別世帯に住んでいた。また、兄弟が4人いるが、一人はやはり障害者で別棟の一戸建て住宅に住み、別に4人のヘルパーを抱えているという。
 それでも家族にかかる精神的・肉体的・金銭的負担はゼロである。家族は保証人にたつこともない。なぜこんなことが出来るのか。今の日本では消費税を30%にしても成し得ないと思えた。

 デンマークと日本の違いは何か。文化交流学園の千葉さんは『民主主義』に対する意識の差だという。
 デンマーク人は自分の意見をはっきりと述べ、選挙では必ず投票にでかけ、自分たちの政府は自分たちで選び、ダメな政治家には二度と投票しない。また自分たちの発言行動にも自分で責任を持つ習慣がついている。
 もちろん税金も必要と認めればいくらでも納める。なぜなら、教育、医療、福祉といった基本的な費用については必ず政府が面倒を見てくれる。
 つまり払った税金は必ず自分達のもとに帰ってくると信じているし政府もそれに答えている。政府と国民の間に信頼関係が成り立っているのである。
 では医療はどうなのか。すべて国の管理下にある(勤務医・開業医とも基本的に公務員)が医療費はかなり高いらしい。
 医療に金がかかるのはどこの国も一緒のようである。しかし医療費を削って福祉に金を回すなどといった発想はない。医療と福祉は全く別物であって、双方の充実があって初めてより良い成熟した社会が出来ることを当然のこととしている。日本流のケアミックスといった発想もない。

(日本というところ)
 それでは日本はどうか。日本は資本主義、民主主義の大国だと思っている人が多いと思うが、旧ソ連のゴルバチョフ大統領に言わせれば西側諸国にあって唯一社会主義政策が成功した国であるという。
 一見、民主主義のように錯覚するが、国を動かしているのは政治家・官僚であって数え切れない許認可制度によって経済はコントロールされ、民意は政治を変えるには至らない。
 なぜなら、本気で政治を変えようなどという国民がいないのではないかという程選挙の投票率は低く、また悪徳政治家といわれるような人たちが、地元の指示でいとも容易く再選されてしまう。
 それでも経済大国といわれる国である。日本国民は世界一の貯蓄率を誇っている。しかし国民は政府も他人も根本的なところで信用していない。
 どこか自分さえよければという考えがあるから、悪徳政治家であっても自分の有利になる人であれば投票するのだろう。そして結果が自分に不利になれば、政府が悪い、会社が悪いと言い、責任回避してしまっている。

 第二次世界大戦に敗北し、日本は瀕死の状態から政府と国民が懸命の努力で奇跡の復興を遂げた。しかし、顧みれば日本国民一人ひとりが考え、努力してきたのはなく、所得倍増計画、日本列島改造論など時の政府の誘導でGNPを伸ばし、その分け前をもらってきたに過ぎないのではないか。
 そして、日本経済は未来永劫揺らぎないものと思っていた(いや、今でもそう思っている寝ぼけた日本人が沢山いるようである)。そして、勢い余って目標を失い、政府も国民もバブルに振り回され、いつの間にかお互いの信頼を失ってしまった。
 結果、税金は納めるものではなく、取られるものの意識が強くなってしまった。
 医療も福祉も慈愛の精神の上に成り立つものと思う。今の日本のシステムのままでは、いくらお金をかけても目指す福祉制度は達成できないのではないか。

 厚生省の打ち出した新ゴールドプランは机上の理論で、単に計算された福祉であり心が何も感じられない。今、行われている医療法改正においても、あまりに露骨な医療費抑制政策が透けて見える。
 政府は「民活」という表現をよく使うが、「民活」とは政府が成し得なかった「つけ」を民間に押しつけているだけではないか。施設基準、許認可で固められた医療福祉の世界に「民活」を本気で導入すれば、医療は荒れるであろう。もちろん中にはすばらしい施設もあるであろうが、ごく一握りに過ぎない。
 当初、厚生省は医療費抑制のため、社会的入院といわれる老人の長期入院患者を病院から追い出す作戦をとった。病院は患者を薬漬け検査漬けにしているとし、定額制を導入、そして老人保健施設という通過施設なるものを作った。
 そして、介護力強化病院・特例許可老人病棟・療養型病床群と施設基準を強化していくことで病床削減に努めたが思うようには行かなかった。
 国立病院は統廃合すれば何とかなったが民間病院はそうゆうわけには行かない。医療機関にも反省すべき点は多々ある。
 しかし国も自分達の政策失敗を認め、謙虚になるべきである。医療機関に対する数え切れない許認可制度を見直し、民間病院の身を軽くし、官と民が協力して医療の再構築を謀るべきである。
 今のやり方は規制緩和どころか、実質は締め付けを強化することにより、医療を破壊しているのも同然である。医療が育たなければ福祉は育たない。今、医療機関、福祉施設が競合している。決して好ましい状況ではない。
 デンマークと違って日本でのケアミックスは必ずしも悪いとは思わないが、あくまで病院は病院らしく、施設は施設らしく、そして双方が競合することなく協力しあい国民生活を守って行くべき施策が求められる。
 一方国民も目覚めるときではなかろうか。金満・飽食の異常な時代は終わりつつある。物欲的なものばかりに目を惑わされることなく。足元を見つめ直し、少しは清貧であるべきことを学ぶべきであろう。
 他人のためだけでなく、将来の自分たちのために。






第9回 福岡県介護予防センター講演会
地域包括ケアシステム 筒井孝子氏 講演を終えて(2016/11/05)


毎年恒例で福岡県筑後介護予防支援センター主催の講演会を開催している。今年度も無理をお願いして、兵庫県立大学大学院経営研究科、筒井孝子教授に講演をお願いした。

筒井教授とは、先生が国立保健医療科学院統括研究官の時代に、故西依信樹氏(元久留米市役所長寿支援課課長)の紹介で、2010年12月に東京の国立医療科学院の会議室でお会いしたのがきっかけであり、それ以来、お付き合いをさせていただいている。

今年度の講演会の目的は、2018年度から本格的に始まる「地域医療ビジョンと地域包括ケアシステム」の全国自治体における進捗状況と自治体ごとの地域格差、とりわけ、福岡県や久留米市はどれだけ対応しているのか、あるいは、これから残された時間で我々は何をしなければならないかを確認するとともに、その現実を地域の医療と福祉に従事する関係者に伝えることにあった。参加者は、212名と昨年のおよそ2倍であり関心の高さが窺われた。

講演の骨子は、①地域包括ケアシステムの背景、②地域包括ケアシステムについて、③多職種協働、④地域包括ケアシステムの推進に向けた提案、⑤まとめであった。タイトルだけ見れば、特にインパクトを感じないかもしれないが、講演内容は極めて微細で、厳しい現実が付きつけられていった。おそらくフロアーの皆さんには約2時間の講演時間が半分程度に感じられたのではなかろうか。

紙面の関係で極々簡単に提示する。まず、過去10年の医療費と医療提供体制の問題点が示された。国の切迫した財政を考えれば、今回は待ったなし、先送りなしで2018年度の診療報酬、介護報酬の同時改定を迎えることになる。これに対して、福岡県の病床再編計画、および地域包括ケアシステムの構築ともに他の自治体に比べて著しく遅れていることが指摘された。
医療と介護の連携については、多職種による理念と基本方針の共有・協働(規範的統合)が繰り返し示され、目標達成のためのリーダーシップ、特に行政の役割の重要さが指摘された。

次に、地域包括ケアシステムにおけるチームアプローチでは、ローカルルールの設定、どのようにクリニカル・ガバナンスを構築していくか、さらに新たな考えとしてフィンランドにおけるラヒホイタヤの取り組み(社会・保険医療共通基礎資格)、職種混合・多様性(スキルミクス)などが紹介された。我々には夢物語に聞こえるが、少子化に伴う専門職の人材不足に対応するために、我が国においても育成が進んでおり、新たな資格としてこれから10年後を目指して育成を進めていくとのことであった。

認知症施策については、国と各自治体の間で価値観が共有されていないため今後修正が必要となるであろうこと、医療介護連携については、モデル事業の取り組み状況とその意義が示された。最後にセルフマネジメントのあるべき姿が提示された。

久留米市は、人口約30万の中核都市(久留米医療圏では約46万人)である。久留米市の医療事情を最新の地域医療情報システムの資料をもとに全国平均と比較すると、人口10万当たりの久留米医療圏の診療所数は全国の約3倍、病院病床数は約1.8倍、結果として医師数、看護師数ともに約2倍となる。介護施設数はほぼ全国並みではあるが、さらにサービス高齢者住宅、有料老人施設などが多数点在している。

久留米市は伝統的に「医療と福祉の町」であり、市民が暮らしやすい町であるという。しかし、国の立場から言えば、医療や福祉は税金と保険料で賄われている。言い換えれば、久留米市は税金と保険料に依存した町ということになる。今後は、自治体や地域包括支援センター機能が国の調査対象になるという。自治体能力に応じて国からの補助金が調整されるということらしい。医療・介護報酬も削減される。

2018年以降、医療保険は都道府県単位、介護関連も多くは市町村、あるいは広域連合単位となる。市民にとっては、年金は減り、保険料や一部負担金は増額の兆しさえある。福岡県の75歳以上の一人当たりの年間入院医療費は10年間にわたり全国1位を続けている。また、2016年度現在、救急医療提供体制は全国1位を誇っているという。この体制を維持している救急隊、各医療機関には頭が下がる思いである。

しかし、今後、病床再編での急性期病床の減少、今後の労働力不足を考えれば、今後ともに現状の体制を維持することは困難であることが容易に想像できる。久留米市は、他の自治体と異なり、医療提供体制に恵まれた中で「医療と福祉の町」としての大きな岐路に立たされている。今の我々に求められているのは、今をどうするかではない。覚悟して「10年後の町のあり方」を決め、その実現に向けて規範的統合により行動を始めることであろう。






第8回 福岡県介護予防センター講演会
社会保障制度改革と今後


平成26年11月22日、久留米医師会館において福岡県介護予防支援センター(事務局:久留米リハ病院内)主催での講演会を行いました。演題は、「社会保障制度改革と今後」~保健医療福祉分野に求められる人材について~というタイトルでしたが、中身は極めてセンセーショナルでしかも盛沢山の内容でした。

演者は、現兵庫県立大学大学院経営研究科筒井孝子教授です。こう聞くと「ふ~ん、だから」と思う人が多いかもしれませんが、前厚生労働省国立保健医療科学院統括研究員であり、これまでも看護必要度や現在の地域包括ケアシステム等の根幹にかかわってきた人です。現在も、教授職の傍ら政府の内閣官房で活動されている人となると身を乗り出す人も少なくはないかと思います。

約2時間のご講演とその後の約1時間のディスカッションがあっという間に過ぎ去ってしまいました。日本の社会保障制度が危機的状態にあることは、専門職だけでなく、多くの国民も多少理解していることでしょう。しかし、現実は、さらに深刻な状況にあり、2014年4月に公表された病院機能分化などは、ほんの序章に過ぎないと思われました。活字面だけを追っていても真実が見えてこないようです。

先日、安倍政権は、消費税10%を見送る決断をし、国民にアベノミクスの信を問う形で衆議院を解散しました。消費税10%への先延ばしは、短期的な日本の経済成長を懸念して決断されましたが、社会保障費の面から考えれば、2025年に向けての医療・介護のロードマップに多大な影響を及ぼすことになるようです。将来に向けての医療・介護・福祉制度と、それに伴う診療・介護報酬改定はすべて消費税10%を基準に計画されていたわけです。社会保障改革という列車は、スタート直後に燃料不足の恐れがでてきました。スピードを抑えれば失速してしまうかもしれない。そうすれば、さらなる深刻な状況も考えなければならない。

方法はふたつ、他から借りてくる(赤字国債)か、燃費を上げる(診療・介護報酬の抑制、一部負担金の増加)しかありません。まずは病院機能分化が急がれます。2025年度を待つまでもなく、近い将来に多くの急性期を自認する医療施設に対して容赦ない病院・病床再編のメスが入ることになるようです。亜急性期、維持期の医療についても同じです。

日本は有史以来、人口増加、経済成長のトレンドの中で歴史を繰り返してきましたが、すでに人口減少と少子高齢化という新たなトレンドに入り将来的にもこの流れは変わらないわけで、歴史は繰り返さない可能性が高い。それなら、過去を引きずることなく、新しい日本の体制に身を置くことを考えなければならない。国民の意識次第で「日はまた昇る」でしょう。

我々の先祖は、幕末期から明治期にかけて維新を断行し、さらに幾多の苦難を乗り越えて現在の日本を残してくれました。私たちは、いつの間にか先祖の貯金を使い果たしてしまったのかもしれません。だとすれば、今を生きる私たち日本人は、自分たちのためだけでなく、次世代のために新たな困難を乗り越えなければならない時期にいるのだろうと考えます。






第7回 久留米市民公開シンポジュウム
ご存知ですか?久留米市の地域ケアの実情


わが国の最近の医療と介護、福祉政策については、甚だ首を傾げたくなることばかりです。 地域医療計画、年金政策、高齢者医療、介護保険および福祉政策の見直しなど、あまりにも理不尽な改革(?)ばかりが目立ちます。県や市政は、当然のことながら国の方針に沿って実施されることになりますが、昨今のように、誰もが納得できないような国策を後追いするかたちで市政が行われることは、将来の市民生活に多大な損失を与えることにもなりかねません。各地で、市民や高齢者団体が立ち上がっています。 これからは、地方分権の時代です。私たち久留米市民も、自分達の住みよい街づくりのために、市政にもっと興味を持ち、積極的に参加すべき時期が来ているのではないかと思います。

市民公開シンポジウムは、久留米市から地域包括支援センター業務を受託している、特定非営利法人「くるめ地域支援センター」主催、久留米市の後援で開催しました。シンポジスト(お話する人)は、久留米市の各種団体の代表として実際にご活躍の皆様にお願いしました。開催目的は、現在、久留米市で実施されている、あるいは今後実施が予定されている医療介護福祉に関する計画を、より具体的に市民の皆様に情報として提供し、久留米市の将来像を、みんなで考え、市民の意見が少しでも市政に反映されるような活動に結びつけることでした。 今回は、敬老の日のイベントや地区の運動会などが重なりましたが、350名前後の皆様のご参加をいただくことができました。心から感謝申し上げます。今後とも、久留米市の将来を皆様と考える機会を数多く作りたいと思っています。 これからは、いっそう、市には、地方分権時代にふさわしい、市民のための自立した市政が行われることを期待します。当日は、講演、シンポジウムのほか、フロアーでは、ポスター形式で、担当者による各地区の地域包括支援センター活動の紹介、医療介護福祉制度、介護保険関連サービスなどのコーナーを設置して、みなさんのご理解が深まるよう努めました。少しでも市民のお役に立つことができましたら幸いです。 次回、開催の折は、多数のご参加をお願いいたします。






第6回 福岡県介護予防支援センター研修会


(平成20年3月 福岡国際会議場にて)

介護予防支援に関する事業は、これから増大するであろう高齢者の医療費と介護費用を削減することを一つの目的として考えられた政策です。あえて言い換えれば、少ない財源で国民の老後を効率的に支えていく政策を模索しているということでしょうか。 しかし、高齢者は一定の基準のもとにランク付けが行われ、この基準に沿って管理される仕組みになっています。そこでは、残念ながら個人の尊厳や選択権は希薄にならざるをえない印象を受けます。 今後、安定した地域ケア体制を作っていくために、官民一体となった協働事業としての体制作りが必須と考えます。「福岡県介護予防支援センター」は、地域ケアのより良いあり方を考えるために福岡県が独自で考案されたシステムと聞いています。現場の皆さんには、数値目標に縛られることで、住民に不利益が生じたり、予算が無駄に使われたりすることがないようにお願いします。目標は、地域住民の安定した生活環境の確保と老後の生活の質向上であり、「介護予防支援センター」事業が、これらの期待に答えられるようになることを切に祈念します。





第5回 これからどうなる地域の医療と福祉、そして介護サービス


(九州大学公開講座H18年12月春日グローバ・プラザにて)

<激変が予想される一般・療養病床再編の動き>
平成18年4月から大幅な診療報酬の改定が実施された。今回の改定は、過去のどの改定と比べても比較にならないほど大きな打撃を医療界に与えたのではなかろうか。同時に今後の国民の健康管理、あるいは老後の療養環境にも多大な影響を及ぼすものと考える。日本医療経営白書(2005年度版)によれば、平成15年9月1日現在の一般病床の施設数は6486施設(病床数923047)、医療療養病床の施設数は4249施設(346045床)となっており、合わせて、8398施設(1269092床)がある。また、ほかに2669の診療所に25210の病床があるとしている。政府は、欧米諸国と比較して、わが国の医療費の高騰を、病院・病床数の多さと平均在院日数の長さを理由にあげる。その真意は別として、今回の改正では、医療費削減のため、現存する療養型病床のうち介護適応の療養病床のおよそ13万床を平成21年度までに全面廃止、医療保険適応の療養病床についても25万床を15万床にまで削減しようとしている。公的介護保険が施行された平成12年度の国民総医療費は31.1兆円であった。厚労省は、毎年1兆円前後の医療費の伸びを問題視している。また、多くの医療と介護費用が根拠なく無駄に使われていると指摘する。確かに、厚労省の意見にも耳を傾けるべき点はある。過去には、病院を住居代わりに長期療養を続けてきた事例もある。薬漬け、検査漬けといった過剰診療が一部で行われてきたことも否定できない。介護保険以降についても、一部の介護サービス事業者については、そのあり方について問題が指摘されているのも事実である。しかし、今回の改正についてだけ言えば、質の改善を目的としない、明らかに、経費削減のための政策であるというほかない。国民にとっても間違いなく理不尽な改定である。平成18年のわが国の特別会計の予算総額は460兆円(歳出総額でも225兆円)もあり、しかもその使途については、かならずしも納得できる状況にないことは、国民の多くが周知するところであろう。医療費、介護保険、年金などは国民の命と生活を守るための最低必要経費である。特別会計の幾分かを削ってでも国民の命と生活を守るために使ってほしいものである。

平成14年度に国が定めた参酌標準に沿って、久留米市が作成した「介護関係施設の整備の必要性」についての資料がある。平成18年4月1日現在、久留米市には35施設で7170の病床数がある。一般病床は4093床(19施設)、療養病床1479床(17施設)が整備されている。そのうちの、およそ500床が介護型である。もし、今後とも、参酌標準が原則見直されないまま計画が実施されるとなれば、久留米市の医療マップは、前述のごとく激変する。計算上は、介護型と医療型の療養病床を合わせて、およそ1000床前後の病床数が削減されることになる。療養病床ばかりではない。一般急性期病床についても、暫時、半分程度の大幅な削減が見込まれている。厚労省労健局保険課担当者によれば、「厚労省にとっても失敗が許されない大改革」というが、これだけ多くの施設内療養者を在宅で受け入れるだけの能力は現在ない。これから、「自宅」以外の、いろんな意味での「居宅」を整備する予定というが、「居宅」という名の生活保障の薄い「箱物」にならないようにしてほしいものである。

国の方針は、医療・介護を金のかかる施設中心から、より安価な在宅中心にシフトさせようという目論みである。このため地域に総合的なマネジメントシステムとしての「地域包括ケアシステム」(個々の高齢者の状況やその変化に応じて、介護サービスを中核に、医療をはじめ様々な支援が継続的かつ包括的に提供される仕組み)を構築しようとしている。その中心として位置付けられたのが「地域包括支援センター」である(久留米市健康福祉部長寿介護課資料)。

本来、本事業は、市が直轄で実施することを原則とするが、「地域の状況に応じて在宅介護支援センター等に委託することが出来る」となっている。久留米市では、人的・資金的にも直轄は困難として、外部組織に委託することを決めた。このため、在宅介護支援センターの運営にかかわっていた医療系および社会福祉系の13法人は、保険・福祉関係団体の7法人とともに、平成18年3月に、受け皿としての特定非営利法人「くるめ地域支援センター」を設立し、翌月より、市の意向を受けて、早々に業務受託となった。しかし、基本理念や基本方針が崇高なわりには、予算的裏づけに乏しく、しかも人材確保も十分になされないままでの業務開始を強いられたため、運営の困難さは、容易に想像できた。事業開始から4ヶ月が経過した平成18年7月末現在、予想通り、多くの問題を山積したまま事業を継続している。本事業は、行政側の事務手続き上、単年度契約となっている。この1年が過ぎて、事業が困難を極め、次期の契約が継続されないようなことがあれば、地域包括ケアシステムは、その時点で暗礁に乗り上げることになるであろう。来年度以降も、このシステムを維持するためには、委託側および受託側が、お互いの論理を振り回すことなく、ともに協力して難問に取り組む姿勢が、今以上に望まれることになる。

講演では、今後展開されるであろう、医療と福祉そして介護保険サービスの方向性を自分なりに分析して示したい。そして久留米市における同法人を例にとって、包括支援センターの役割と今後の地域包括ケアシステムのあり方と問題点について提示してみたい。






第4回 今後の介護保険制度改革に思う


(福岡県内科医会報より2005年)

平成12年(2000年)4月に介護保険制度が創設された。当時、私は、医療介護福祉制度の視察のため2回に渡り、デンマーク、ドイツを訪問した。そのとき、北欧に比べて、日本の介護・福祉制度が極端に遅れていることを感じたが、逆に医療制度については、むしろ日本のほうが大変優れているように思えた。その理由は、福祉制度はお粗末でも、国民にとっては、安価で、しかも比較的利用しやすい医療が、介護や福祉の肩代わりを含めて、総合的に提供されていると感じたからである。現在の厚労省が時おり発表する「平成?年の国民医療費は推計?兆円」といった数値に、どれほどの信憑性があるのか甚だ疑問であるが、当時の厚生省は、毎年およそ1兆円の伸びを示す医療費に歯止めをかけるために、ドイツを見習って、平成12年に公的介護保険制度を創設した。同年の国民医療費は31.1兆円であったが、この数年は、政府の医療費抑制政策により、その伸びは、一時的には緩やかとなっている。しかし、全国の介護費用に関しては、初年度が3.6兆円、3年後には5.7兆円、そして平成17年度予測では6.8兆円と確実にその伸びを示している。しかし見方を変えれば、平成9年当時の厚生省は、平成12年の国民医療費を38兆円と予測していたにも拘らず、実際には、医療と介護費用を合わせても34.7兆円と予測をずいぶん下回っているのである。この数値は、厚労省の努力の結果というか、見込み違いか、いずれにしても、ほかの先進国と比較しても驚異的に低い(年間国民総医療費の対GDP比:日本は世界第19位)ものである。さらに今年10月以降、介護保険対象の療養病床については、食費と居住費が自己負担になる。また今後、医療保険との格差是正のために、医療保険療養病床にも食住費の自己負担を適応しようという動きがある。そして患者の自己負担増加により、在宅への移行を促進させようということであろう。

それでは、来年度の介護保険制度の見直しとは、どのようなものであろうか。主な論点としては、①利用者負担の見直し、②保険料徴収対象年齢の引き下げ、③障害者支援費制度との統合、④サービス内容の見直し、⑤介護予防の制度化などがあるが、その中で今回の目玉とされているのは、「新介護予防」であろう。

その理由としては、「介護保険利用者のほぼ半数を占める介護度の低い層(要支援、要介護1)の利用者が増加し、介護保険の財政を圧迫している。しかも過剰の家事援助等の結果、利用者の自立を妨げ生活レベルの悪化を招いているため、介護度の低い層に対するサービスは、今後の廃用防止と身体機能の向上を目的とした内容として、介護度の軽減を実現する」というものである。しかし高齢者、特に後期高齢者の場合は、ある程度ADLが維持されていても、加齢による慢性恒常的な身体機能の低下に加え、予備能力も著しく低下している場合が多い。しかも、本人希望の大半が「現状維持」「今以上に家族に迷惑をかけたくない」「このまま住み慣れた家で死にたい」というものである(アンケート調査より)。このため「意欲」を期待し、一つ上の目標を設定することは、場合によっては、本人に苦痛を強いることにもなる。また、今回の予防給付の一つである筋トレともなれば、適性を欠いた場合には、逆に新たな障害を招いたり、疲労度を高めてQOLを悪化させてしまうことにもなりかねない。新介護予防給付制度を全面否定しているわけではないが、新制度として、予防のためにサービスを提供するというのであれば、これにかかわる担当者には、どのサービスを選択するにしても、それ相当の専門的知識とマネジメント能力が要求される。また新介護予防給付=筋トレとの誤解(?)もあるというが、多くの事業者が、競って新規事業として筋トレ機器の整備を行なっていることも事実であり、その結果、基本理念とは別に、顧客争奪戦が起こるであろうことは想像に難くない。高齢者のQOLを維持する目的であれば、ことさら新たな制度を設けなくても、現状のサービスの質向上に努め、本人の価値観・人生観にあった、他人の押し付けではない、本人が望むサービスを、個々の限度額の範囲で提供すればよいと考える。

今回のモデル事業のスケジュールは、平成17年6月にモデル事業(第一次)用認定ソフトが、国から指定された自治体に送付され、7月から開始されている。予定としては、11月以降に国主催の指導者研修、その後、各自治体主催の同研修が組まれており、12月末までには、地域包括支援センターの委託事業者も確定することになっている。また新聞紙上(7月28日:西日本新聞)で見ると、来年創設が検討されている75歳以上の新医療保険制度では、運営主体(保険者)を各市町村とする方向で政府与党内の調整に入っているようである(2008年施行予定)。今後、国民負担も、さらに増加することが予想される。

このように、政府は、独自の推計から予測した医療・介護費用の増大を理由に、医療・介護・福祉に関する政策の見直しを推進している。すべてが国主導で、しかも異例の速さで、一方的に進められている。残された多くの課題については、自分達で何とかしろといっているようにさえ感じる。しかし、市の窓口に行けば、相変わらず「県が・・」という返事がくる。県に行けば「国が・・」という。そろそろ本当に住民のための「県政」であり「市政」が必要である。各自治体とも、本腰で自前の医療・介護・福祉制度を構築しないと、「市町村崩壊」(著者:穂坂邦夫 埼玉県志木市市長)につながりかねない。そのとき困るのは、我々を含めた地域住民である。
2005/08/31






第3回 リハビリテーションを担う人たちへの伝言Ⅱ


平成16年6月に、福岡県理学療法士会から講演依頼があり、「釈迦に説法」とは思ったが、勉強させていただくつもりでお引き受けした。内容は、「変わりゆくリハビリテーション医療―多様化する地域ニーズと転機を迎えた医療介護保険制度――そして日本医療機能評価機構が求めるもの」―と題して、感じたままをお話しした。その際、「リハビリテーションを担う人たちへの伝言」と称してコメントを残した。あまりお役には立たなかったであろうと思っていたにもかかわらず、今回の執筆の依頼があったので驚いてしまった。学術的な内容ではなく、引用文献をそろえることも出来てはいないが、何かの参考になれば幸いである。

はじめに
この数年において病院機能分化が政策的に進められている。国策としては、戦後のベビーブーム世代が高齢期に達する2015年ごろまでに、なんとしても新しい形の高齢者介護システムを実現しなければならない。このための手段として医療・介護制度改革が計画されており、今後の5年間で診療報酬、介護報酬とも段階的に大幅な改定が行われることと思われる。急性期・慢性期とも診療報酬体系は包括化(DPC、RUGⅢなど)の方向で進められる。病院は集約化され、独法化や自治体合併、そして機能分化や特化の方向性は変わらない。医療・介護に関する国民負担率も徐々に上昇していくに違いない。

リハビリテーション医療については、1996年にリハビリテーション科が標榜可能な診療科目として周知されるようになった。そして2000年には回復期リハビリテーション病床が算定されるに至り、これと並行して患者を中心としたチーム医療や情報の一元化・共有化といったことが頻繁に言われるようになってきた。2003年4月の時点では、福岡県内で39施設、1842床の回復期リハビリテーション病床が申請されている。しかし、依然として「おまかせリハ」が実施されているところも少なくない。

少し前までは、セラピストが一定の時間、訓練に携われば、訓練対象や、その成果がどうであれ、請求に応じて、おおむね診療報酬が支給された。しかし、それではもう許されない時代が訪れている。対象は限定され、適切な時期に適切なリハビリテーションを提供して、結果を出すことが期待されている。リハビリテーション計画書は、このための契約書のようなものであり、利用者に対しては、説明と同意が義務付けられている。これからのリハビリテーション医療は、確固たる知識と技術の裏づけのもとに、組織的に行われなければならない。確固たる知識と技術とは、特殊な手法を意味しない。個々の経験に基づくものではなく、医学的根拠に基づく普遍的なものであることが必要であろう。しかし技術論への偏重は、リハビリテーション本来の「全人間的復権」という使命を見誤ることにもなりかねない。また組織的とは、大組織であることを意味しない。医師、看護・介護・リハスタッフはもちろんのこと、MSW、ケアマネジャー、事務職員に至るまで、一体となったサービス提供体制を構築することにある。そして利用者にとっては、急性期から慢性期にかけて、あるいは入院から在宅に向けて、一貫した質の高いサービスが途切れることなく、提供されることが望まれる。

医療チームの中の理学療法士
リハビリテーションスタッフの就職活動を行う際に、理学療法学科の生徒は、総じて整形外科を希望する人が多い。直接患者の治療にかかわっている印象があるのであろうか。あるいはPTという専門性から、整形外科疾患のほうが、馴染みやすいのか。また整形外科関連のリハビリテーションの多くは、医師の処方箋のもとに患者とマンツーマンの関係で実施されることが多く、このような人間関係を意図的ではないにしても望んでいるのかも知れない。もちろんこのような関係を否定しているわけではないし、障害や訓練の性質によっては当然必要とされることである。しかしそこにはチーム医療という考えはあまりない。今求められているリハビリテーション体制は、組織だったチーム医療である。回復期リハビリテーション病床の診療報酬体系などは、まさにそのものである。今後医療の包括化が進めば、その傾向はさらに強まるものと思われる。

最近では一人の患者が有する合併症が多く、一人の患者に対して、複数の医師がかかわるケースも珍しくない。そして他職種とのケアカンファランスが開かれ、リハスタッフは計画に沿って、ADLやQOLの向上に直接つながるように訓練を実施し、随時評価と見直しを行わなければならない。訓練に際して、看護・介護スタッフと協同で行うことも日常的に見られるようになってきた。嚥下・摂食訓練、入浴訓練、トイレ動作を含む病棟における移乗動作訓練などは、職種を超えた協同作業の場である。また装具も適切に提供されなければならない。義肢装具士にお任せでは好ましくない。

記録については、まだPT・OT・STが分散して記録している施設が多い。通常、病棟において一人の入院患者に複数科の医師がかかわっても、1患者に対して医師のカルテは一冊である。もちろん看護記録もひとり一冊しかない。リハ部門だけが、未だに職種ごとに分冊されなければならない特別の理由はないように思う。チーム医療を実施する中では、PT同士はもとより、他職種との情報の共有は、自らの実績をより解りやすく提示することであり、組織の中におけるPTとしてのIdentityを一層高めることにも繋がるのではないかと思うが、いかがであろうか。
リハビリテーション看護
看護・介護の方法も以前とは様変わりをしてきた。従来は単科の病棟が多かったが、病床の有効利用のため混合病棟が増加傾向にある。リハビリテーション病棟は、まさに混合病棟と同じである。当院の場合は、脳卒中、脳腫瘍術後、脳挫傷、大腿頚部骨折、頚・脊損、全身麻酔後の廃用症候群などが常時混在している。またその患者が、糖尿病、高血圧、心臓病、慢性呼吸器疾患などの合併症を有し、さらには胃瘻や腎瘻まで造設されている場合もある。気管切開されている事例も散見される。リハビリテーション看護の現場は、単に「ADLに沿ったケア」「自立支援のための看護」などといった生易しいものではない。これらの合併症を持つ患者のトータルケアこそが、リハビリテーション看護の、もっとも重要な仕事である。しかも24時間にわたり、継続して提供されなければならない。リハビリテーション医療は、看護・介護職員の絶え間ない努力の上にしか成り立たないことを医師およびリハスタッフは明確に認識しなければならない。そのような意味で、個人的には、リハビリテーション看護を、究極の看護と認識している。出来れば機能別看護は好ましくない。チームナーシングと受持ち性の併用が望ましいと考える。

情報の共有化がもたらすもの
話をリハスタッフにもどそう。まず情報の共有化を考えてみよう。いま組織の中で、PT同士が各個人の技術や患者情報を、どの程度共有しているだろうか。またOT、STとはカルテを共有しているか。カンファランスは一緒に実施しているか。病棟において患者の訓練経過や評価記録を常時確認できるようになっているか。リハスタッフは看護・介護スタッフと協同で患者のADLやQOLの向上に直接関与しているか。一方、医師はリハビリテーションに興味を持って接しているか。医師の記録から治療方針が読み取れるか。カンファランスには医師も積極的に参加しているかなど、自分たちの組織をチェックしてみよう。

昨今のように、一般病床での在院日数の短縮、回復期リハビリテーション病床の施設基準などを考えると、一人の患者を継続して同一のリハスタッフが担当することは、効率性を考えれば、必ずしも容易ではない。病院内において、一般病棟から回復期病棟や療養病棟への転棟も比較的多く見られるようになった。転院して訓練を継続することも少なくない。その結果、施設内における担当者の変更に際しては、各セラピストの技術はもちろんのこと、訓練に関する理念や基本方針が統一されていなければ、利用者は混乱を招くことになる。転院することになれば、紹介先の施設に対して、訓練が適切に実施されていたことを伝えなければ、地域での責任が果たせないばかりか、信頼を失うことにもなりかねない。情報の一元化と共有化は、ある意味では、病院機能の開示や各セラピストの技術力の標準化にほかならない。

医療機能評価とリハビリテーション
医療の質向上を目的に財団法人日本医療機能評価機構が設立され、2004年10月現在では全国で1247の医療施設が認定を終了している。2003年7月からは付加機能として救急医療、緩和ケア、そしてリハビリテーション機能評価基準が設定され、審査が開始されている。緩和ケア病棟においては、診療報酬上の施設基準として同機構の統合版の認定証を取得することが義務付けられている。将来的には救急またはリハビリテーション専門施設についても、緩和ケア同様の動きがないとも限らない。

付加機能としてのリハビリテーション機能評価を受審するためには、まず統合版の認定証を取得しておくことが条件となる。その後に、あらためて付加機能の審査申し込みを行い、審査後に別途に認定証が発行される。統合版の認定証は5年ごとに更新することになっている。今のところ、付加機能の認定証の有効期間は、統合版の認定期間内に限られているため、統合版での認定から、付加機能の認定証発行までに時間がかかれば、それだけ付加機能の認定期間は短くなる。

当院は2004年5月に日本医療機能評価機構の統合版4.0複合病院での認定証を取得した。そのときの経験から、リハビリテーションに関連した審査項目について少し述べてみたい。

訪問審査は、合同・部門別面接とケアプロセスの3つに分かれて実施される。合同面接では、「病院組織の運営と地域における役割」「患者の権利と安全の確保」「療養環境と患者サービス」などの面接が行われる。部門別では、「診療」「看護」「事務管理」に分かれて部門別面接が行われ、その後に病棟を中心としたケアプロセスが実施される。リハビリテーションに関しては、主に部門別とケアプロセスでの評価となる。

部門別評価
①リハビリテーション部門の体制の整備
病院機能に見合った職員の確保、設備機器の整備、保守・点検が適切に実施されていること。病院の地域における役割に基づいて、リハビリテーション部門の方針が明確にされており、文書によって説明できるようになっていることが望ましい。加えて、家庭復帰や社会復帰を目指して、どのような役割、機能を果たそうとしているのかが重要とされる。

職員配置については、各リハビリテーション施設基準に併せた専任・専従スタッフを明確にしておかなければならない。回復期リハビリテーション病棟を有する施設においても同様である。またリハスタッフはもちろんだが、専任・専従医師が不明確であったり、実態が伴っていないと指摘を受けることになるので注意されたい。

②リハビリテーションの適切な運営
リハビリテーションの基準・手順があり、患者の身体機能などの評価が、適切な手法で定期的に実施されていること。評価に基づき、具体的な目標が設定され、訓練が計画的に実施され、記載されていること。部門の運営が組織的に行われており、他職種との連携が緊密化するような部門運営であること。また、患者の受け入れ実績や在宅復帰率などが把握され、検討される仕組みがあることなどが求められる。

③訪問(在宅)サービス
訪問サービス部門は、各医療機関の特性に併せて評価される。
急性期病院では、かならずしも必要とされないが、療養病床やリハビリテーション専門病床を有する施設においては、基本的な体制の整備と、方針および役割を明確にしておく必要がある。自院で在宅サービス部門が整備されていない場合は、他の医療・福祉機関との連携が適切に実施されていれば、とりあえずは問題ない。その際は、連携機関リストの整備や、実績などが記録として確認できることが求められる。

ケアプロセスでは、合同面接や部門別の審査とは異なり、診療と看護の担当サーベイヤーが、一緒に各病棟を訪問して、各部署における業務が円滑に実施されているかどうかを調査する。リハビリテーションに関する評価項目としては、診療領域の「効果的リハビリテーションの実施」と看護領域の「リハビリテーションの適切な実施」がある。前者では、リハビリテーションの必要性が医師によって評価され、適切な指示のもとに、訓練プログラムが作成されていること。計画には患者・家族の要望をとり入れ、説明と同意が行われていること。また定期的に多職種により症例検討会が実施されていることが必要である。そしてこの一連の活動が、記録として確認できることが求められる。また後者においては、ベットサイドや病棟における訓練の実施状況や、他職種と共同での訓練の成果が、どのようにセルフケアに生かされているかなどが評価される。やはり実績が記録で確認できることが望ましい。そのほか療養病床を有する施設においては、患者の受け入れ体制、在宅療養支援のための通所サービス、家屋評価や改造についての相談、訪問リハビリテーションの実施状況などが、加えて評価される。しかし長期療養病床や特殊疾患病床では、在宅復帰や福祉施設への転院の可能性が少ないという理由から、入院が漫然と長期化しているところが多い。しかし、そのような状況においても、常に患者のQOLや権利などを念頭に置いた、具体的活動があることが期待される。全体を通じて、基本理念・方針、計画、評価、日々の活動、連携などが、全職員に周知されており、記録や文書で確認できることが必要とされる。リハビリテーション付加機能の詳細については日本医療機能評価機構のホームページを参照されたい。

おわりに。わが国は、ここにきて大きな転換期を迎えている。地域医療計画の抜本的見直しや、医療・介護保険制度の大幅な改定に伴い、地域における医療機関の役割も大きく変わる。リハビリテーション医療に関しては、ことの良し悪しは別として、施設における在院日数の短縮と診療報酬の包括化が進み、さらに在宅支援にシフトしていくものと思われる。その中で、リハビリテーション医療に対する世間の関心と期待は、さらに高まりつつあるが、同時に、社会的評価は益々厳しいものになってくるであろう。今後は、個々の技術向上は、もちろんのことだが、急速な社会ニーズの変化に対応した、サービス提供体制の再構築が、もうひとつの大きな課題であろう。


追加)
①訪問リハビリテーションについては、来年度から開始が予定されている介護保険制度下における新予防給付制度施行に伴って、その適応も若干異なる可能性があります。
②同時に来年度から施行が予定されている、包括型在宅介護支援センター制度についても、地域の医療・介護・福祉連携を大きく左右することになると思いますので、その動向をしっかりと追跡する必要があるでしょう。これに伴って、従来の基幹型-地域型在宅介護支援センター制度は廃止する方向で検討されています。
③医療機能評価における統合版は、平成17年8月以降は、随時Version4からVersion5へ移行されています。8月以降であっても、それ以前にVersion4で契約をしていれば、Version4での訪問調査が行なわれます。






第2回 リハビリテーション看護について思うこと


最近の医学の進歩は目覚しいものがあり、医学会でも各専門医の育成が盛んに行われています。医学会々場で石を投げれば3回に1回は専門医に当たるのではないでしょうか。しかし一方では、患者を全人間的に診ることが出来る医師が少なくなったことや、同じ医師が医療事故を繰り返していることなどが指摘されています。平成16年度から臨床研修医制度が発足したのも、このような背景があるからでしょう。看護においても、看護大学や大学院が増え、やはり看護の専門性の向上や、専門ナースの育成に力を入れているようです。この点については看護技術の進歩からも大変喜ばしいことです。そして医療技術の進歩とともに、疾患別専門ナース、感染・安全などに関連した専門ナースなど大変重要な位置を占めるようになっています。しかし、やはり一方で、トータルケアが出来る看護師の育成は出来ているのでしょうか。看護・介護の方法も以前とは大きく様変わりしてきたように思います。従来は単科の病棟ばかりでしたが、病床の有効利用のため、全国的にも混合病棟やケアミックスの病院が増加傾向にあります。また高齢化とともに、多くの合併症を持った患者(敬称略)も増えています。加えて個々の患者や家族のニーズも多様化しているようです。

リハビリテーション病院には、脳卒中、脳腫瘍術後、脳挫傷、大腿頚部骨折、頚・脊損、全身麻酔後の廃用症候群などの患者が混在しています。またその患者が、糖尿病、高血圧、心臓病、慢性呼吸器疾患などの合併症を有し、さらには胃瘻や腎瘻まで造設している場合もあるわけです。また救急医療や手術の進歩により救命率が高まっただけ、重症患者も増えています。気管切開されている事例も散見されます。リハビリテーション看護の現場は、単に「ADLに沿ったケア」「自立支援のための看護」などといった言葉で表現してしまうには、あまりにも適切ではありません。これらの患者のトータルケアこそが、リハビリテーション看護の、もっとも重要な仕事だと考えます。そのような意味で、リハビリテーション看護は、全人間的看護であるといえます。だからといって、このようなケアを看護師さんだけで行なうのは困難です。医師だって無理です。だから医師・看護師・介護スタッフ・リハスタッフ・薬剤師・栄養士ほか、社会福祉士・ケアマネジャー・事務スタッフなど、すべての職種の協力によるチーム医療が求められるのです。これからの看護は、受持ち性とチームナーシングの組み合わせが良い。患者の病態が複雑になり、医師も一人の患者を数人で受け持つことが多くなってきました。看護も一人の患者を数人でケアしたほうが、良い看護ができるように思います。なかには、今まで機能別看護の経験しかない看護師さんもいます。それでも、患者さんのことを思いやる、やさしい心があれば全く問題はありません。それぞれの技術と経験、そして看護に対する思いを持ち寄ったチームのほうが、より良い看護ケアが提供できるでしょう。

リハビリテーション看護は、受持ち制とチームナーシングが良いといいました。具体的には、従来のチームナーシングの中に、介護スタッフ(当院ではサポーター)を含めて1チームを形成します。1患者に対して受持ち看護師1名、介護スタッフ1名を決め、ほかのチームメイトがバックアップします。各チームは看護チーフの管轄下でケアに当たります。病棟全体は看護師長(当院ではマネジャー)が統括しますが、感染・褥瘡といった管理については、各専門スタッフが連携をとって、適切なケアが適切な時期に提供できるよう、所属病棟の枠を超えて協力体制をとります。介護スタッフにとって、身体的ケアに関わる業務が多くなるのは当然です。しかし、おむつ交換、患者の訓練に関わる送迎、トイレの誘導、入浴介助などは「介護職の仕事」といったような考えでは、良いチームケアは出来ません。また介護スタッフは、看護師の業務内容と職制を十分に理解して、同じチームの看護師が、適切な看護が提供出来るように配慮することが必要です。看護と介護スタッフは良きパートナーとしての関係を保つ必要があります。チーム医療の体制は、作ることも大変ですが、持続することにも思いのほか努力が要ります。それは、できるだけ同じ価値観を共有し続けなければならないからです。

若い看護師さんには、もっとリハビリテーション看護に興味を持ってほしい。また十分経験を積んで、生活にもゆとりが出てきた看護師さん達には、一人でも多くリハビリテーション看護の世界に足を踏み入れて、技術の提供や後進の育成に関わってほしいと願っています。






第1回 今回は当院のチーム医療について紹介します。


一般・回復期リハビリテーション・療養(医療と介護)の3つの病棟に分かれています。それぞれに病棟マネジャーと病棟主治医が決められています。標榜科目は内科・循環器科・リハビリテーション科ですが、リハビリテーションのために整形外科医が常勤しています。そのほかに各種合併症に対応するために多くの非常勤専門医の先生にご協力いただき、対診の体制を充実させており、主治医以外に複数の医師が一人の患者様にかかわる体制になっています。一般病棟は36床で看護体制は2.5:1・介護10:1(正看比率70%以上)です。チームナーシングと受持ち性を採用しています。そのほかの病棟も看護単位は異なりますが、同じシステムを採用しています。病院内に総合リハビリテーションセンターがあり、現在23名のPT/OT/STが所属しています。すべてのリハスタッフは、センターより各病棟および在宅部門に配属されます。病棟では専属スタッフとして、ほかのスタッフと連携して患者様の治療にかかわります。診療録はすべて共有です。亜急性期から慢性期まで、そして脳卒中・脊髄頚髄損傷・大腿頚部骨折術後・神経難病・開腹開胸術後の全身調整に対するリハビリテーションはもちろんのこと、在宅療養中の体力低下に対する全身調整やリハビリテーション目的の入院治療も対応可能です。

また院内および地域間連携のためソーシャルワーカー5名、ケアマネジャー4名が病院内外で活発に活動しています。